川嶋 大知 かわしま だいち
メニュー

人生史

簡潔にまとめた 生い立ち ではなく、 私という人物をしっかりと知りたい方に向けて、背景を含め、簡潔にせず詳細に書かせていただきます。

私の経歴(介護、自衛隊、韓国語、神学部、会社経営)はお話をすると混乱されることの多いものですが、 背景を含め、私という人物をしっかりと知りたい方に向けて、簡潔にはせず、詳細に書かせていただきます。

私は高校時代、自衛隊か警察官のように、人の暮らしや平和を守る仕事に強い憧れを抱いていました。 その為、高校を卒業したらすぐに就職するつもりで、父から大学には行かないのかと聞かれた際には、 「就職準備の為に大学に入るなら意味がないから行かない」と答えていました。

しかし「お父さんの知らないことを沢山知ってほしい」と父に言われた際、本当は学んでみたいことがあった私は、父に相談をしました。 それが「神学」でした。

なぜ神学だったのか

神学はその名の通り、神について学ぶ。

この神とは一般的にキリスト教を指しますが、 実際のところは一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)を中心に世界の宗教そのものを扱うことになります。

私が宗教について学びたいと思った理由は、唯一興味をもって熱心に学んでいた日本史、世界史、 その中でも特に世界史では宗教を起因とする戦争が良く見られたこと。 また、2010年代中盤、世界を騒がせたISIS、自称イスラーム国を始めとし、世界中にネットワークを持つアルカイダ系組織やターリバーンなど、 なぜイスラームの名を掲げてテロを起こす例がよく見られるのか。 その背景について学び、公安調査庁など日本を外部からの脅威から守る職種に就きたいと思ったことが始まりでした。

予備自衛官補という挑戦

その後無事に関西学院大学神学部に合格し、理想のキャンパスライフを送る中、もう一つ大学生活中にやりたいことがありました。 それが「予備自衛官補」でした。

自衛隊にも強い憧れがあった私は、大学生でも自衛隊員として訓練が受けられるこの制度に魅力を感じ、入学してすぐに採用試験を受けました。

結果は不合格。

学力は問題ない自信がありました。面接の手ごたえもよかったです。 それでも不合格の通知を受けた時、まるで国家から「お前は必要ない」とすら言われたような絶望感がありました。

しかし諦めきれなかった私は、翌年にも試験を受けました。 筆記試験を終え、歯科医官から歯のチェックを受けているとき、衝撃的な一言を言われました。

「君、親知らず生えてるね。これじゃ受からないよ」

それからのことはあまり覚えていません。今年も不合格が確定した、という思いと同時に、 これで不合格の原因が分かったという安堵もありました。 そして歯科医官の言う通り計3本あった親知らずを全て抜歯し、大学3年生、3度目に受けた予備自衛官補(一般)の試験は無事に合格。 晴れて自衛隊員として採用されることとなりました。

予備自衛官補 修了式にて代表挨拶を実施
予備自衛官補 約3ヶ月の訓練修了後、修了式にて代表挨拶を実施

韓国行きの本当の理由

しかし7月から始まる予備自衛官補の訓練には参加せず、夏から大学を1年休学し、韓国の延世大学校へ語学研修へと旅立ちました。 日本人の韓国語学習者の男女比率は1:9で女性が多いと言われています。 K-POPが好きなわけでもなく、韓国ドラマも見ない私が韓国語を学びに行ったのは、自衛隊が理由でした。

この時点で私の夢は公安調査庁よりも自衛隊に傾いており、どうせ自衛官になるのであれば人と違う事がしたい。 と考えた私は、「技術曹」に目を付けました。 対象には語学もあり、日本にとって重要な三言語(英語除く)のロシア語、中国語、朝鮮語。いわゆる露華鮮を募集していました。 この三言語のうち、日本人にとって最も習得が簡単な韓国・朝鮮語を学んで試験に臨むべく、韓国行きを決意したのでした。

慶煕大学 短期研修 修了式にて代表登壇
慶煕大学 短期研修 修了式にて代表として登壇
※延世大学校での語学研修とは別に参加した3週間の短期プログラム

ノージャパン運動中の韓国での生活

私が韓国での生活をスタートしたのは、2019年の8月でした。この時の日韓関係をメディアは「歴史上最悪」と評し、連日ノージャパン運動の様子が報道されていました。これまで私のやりたい事を全て応援してくれていた父も、この時ばかりは「今この時期に韓国に行って本当に大丈夫なのか」と心配した事を憶えています。

街中で見られたノージャパンの横断幕(本人撮影)
街中で見られたノージャパンの横断幕(本人撮影)

街中では確かにノージャパンの横断幕が見られましたが、そこから半年も経つと、2020年3月に発売された「あつまれどうぶつの森」の為にNintendo Switchを買い求め列をなす様子や、カフェなどとにかく座れるところでは若者がどうぶつの森ばかりやっている姿も印象的でした。

日韓関係が戦後最悪と言われた時期の1年間の韓国生活の中で、日本人差別に遭うことは一度もありませんでしたが、印象に残っているエピソードがある為ここで共有させていただきたいと思います。

私が韓国での生活を始めて2ヶ月も経たない頃、大学の繋がりで仲良くしていた日本語が流暢な韓国人大学院生3人と私一人で食事をとっていました。

私は胡椒が大好きなので、料理に胡椒を多めにかけて食べていたのですが、そのことについて同席の方から

「大知、胡椒のかけすぎは体に良くないよ」

と言われました。この方は話が長い方なので、1〜2分ほど胡椒をかけすぎると体にどう悪いのかの講義を受けていたのですが、その際、隣のテーブルに座っている年配の韓国人男性がジッとこちらを見ていることに気づきました。

先述した通りこの時期は対日感情が悪い時期で、私が韓国語がまだうまくない為、日本語で会話をしていた私達を見て、気分を害しているのかと感じました。

胡椒についての話が続く間も男性の視線は途切れず、むしろ体をこちらに向けて割り込もうとしているようにも思えました。

私は思わず

「隣の男性がずっとこっちを見てるんですけど、日本人を初めて見たんですかね」

と皮肉を言いました。

その言葉を聞いて同席者たちが男性の方を見ると

「(야!!!)おい!!!」

と怒鳴り声をあげられました。

そして男性が韓国語で何かを捲し立てる中、同席者達は何かを弁明したり、謝罪しているようでした。

男性が立ち去ると、私は彼がなんと言っていたのかを尋ねました。日本人がいる事が不快だったのかと。

「いや...酔っ払ってて方言もあったから何言ってるのかわからない部分も多かったけど、なんでこんな時期に韓国に来てくれた日本人をいじめるんだって怒られた」

と言われました。

私は唖然としました。

先ほどまで私はその男性を敵同然に考えていたのに、その男性は私を守ろうとして下さっていたからです。

外国人としてこの経験をした自分にとって、この体験は強烈なものでした。そして、これが日本に住む外国人をただの労働者や留学生にとどまらせず、我が国の強力な仲間にする方法の学びにもなりました。

ここから残り10ヶ月の生活を書くとあまりにも長くなるので、ここに関しては簡潔に述べると、その後も韓国語を学びつつ、大学の近くにあったKOPI BALI延世大学前店で毎日勉強していたある日、偶然視察に訪れたKOPI BALI社の社長との出会いがあり、毎日コーヒーや店舗運営について学ばせてもらう事になりました。韓国語を学びいったつもりでしたが、コーヒーについてもとても詳しくなって帰国しました。

氷点下10℃の中コーヒー豆の積み下ろし
氷点下10℃の中コーヒー豆の積み下ろし。
手分けしても一人当たり計1トンほどを運び、終わる頃には半袖でも暑いほどに。人から湯気が出るのを初めて見ました。

介護の現場へ

帰国後私は予定通り技術曹試験に臨むことになるのですが、一つ大きな問題がありました。 それは、技術曹は本来社会人を対象とする試験の為、6月に試験を受けて9月に入隊するという、 大学生では合格しても中退の他道がないというものでした。

悩んだ末出てきたのが、介護業界でした。 実は留学前に短期の契約で介護職のバイトをしたことがあった経験から、 事前に事情を説明していれば短期であっても働けるのでは、という思いで面接に申し込みました。 そうして大学を卒業後は特別養護老人ホームで介護士として働き始め、来る技術曹試験に備えました。

悪く言えば腰掛け。決して褒められたものではない理由で介護士を始めた私でしたが、 介護の仕事はとても楽しくやりがいがありました。 迎えた技術曹試験は想像を絶する難易度であえなく撃沈し、翌年からは募集自体がなくなってしまいました。 そして気づけばバイトの期間を含めて約4年、特別養護老人ホームでの仕事を続け、介護福祉士の資格も取得しました。

そして、東広島へ

介護士として働いて3年目の2023年夏、韓国でお世話になっていたKOPI BALIのジョン社長より日本支社設立の打診をいただきました。 留学時に日本支社長候補としてコーヒーや経営について教育を受けつつも自衛隊という明確な目標があった私は、 当時から日本支社長の就任については何度もお断りしていました。

しかしそれで険悪になることはなく、帰国後もよくしてくださっていたことや、 KOPI BALIのコーヒーであれば十分に日本市場で勝負できると感じた私は、ついに就任を了承することになりました。 本社の理事会にて満場一致で私の日本支社長就任が可決され、 2023年夏から介護職と並行して個人事業主として活動を始め、2024年10月に法人化。 それと共に介護職を辞め、妻の里帰り出産に伴い東広島へと移住する運びとなりました。

2024年4月に兵庫県西宮市苦楽園にてオープンした店舗は移転に伴う閉店とし、 2025年1月6日に広島市中区にてコピバリ広島本店をオープン。現在に至るまで経営をしております。

さて、ここまでの長すぎる自己紹介を読んでくださったあなたは相当な川嶋通になられたと思います。 私の経歴も踏まえ、想いに共感して下さる方がいてくだされば幸いです。 私の活動に興味を持ってくださった方は、ぜひ川嶋大知 公式LINEもご登録ください。